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中学時代の思い出
名前: C59182
[2014/06/21,18:44:45] No.1536
こんにちは。
東海汽船の「橘丸」、昭和33年に世田谷区に住んでいて当時世田谷区の「臨海学園」が千葉県の岩井にあり、夏休みに学校行事で希望者が参加しました。
当時房総西線(内房線)は非電化で、世田谷からは乗り換え電車が多くまた所要時間も多くかかるため、竹芝桟橋から安房勝山港までは東海汽船の夏期航路便の往復を使いました。
当時3等の船内には冷房など設備がないため、乗客は皆デッキで涼をとっていました。 往路は進行左側が太陽の直射日光が当たり、復路の午後便も進行左側が直射日光の当たる場所、乗客は直射日光を避けるため船体の影になる方向(右舷)にまとまったため、船体が往復とも右側に傾いたまま航行しておりました。
現在は乗船定員がキッチリと守られていると思いますが、50数年前は結構大雑把な感じで乗船させていたように思います。
橘丸は夜間竹芝桟橋〜大島、昼間大島〜竹芝桟橋の航路ですが、夏季期間中菊丸?だったと思いますが、もう1隻と交互に竹芝桟橋〜安房勝山航路についていたと思います。
また昭和40年代の夏期時期は、伊豆七島の民宿が大流行で私のような年代(60歳代以上)の者は、この橘丸にお世話になったと思います。
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