2017.11.11.名古屋港にて撮影。6年ぶりのペアでの入港。
名古屋港にて出港準備・車両積載中。2017.11.4.撮影。信号待ちの車の中から撮ったので、窓枠写ってます。
名古屋に初寄港。2017.11.4.撮影。
起工1998年2月12日 進水2001年3月4日 就役2003年7月12日 ニミッツ級原子力空母9番艦。 第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・ウィルソン・レーガンの名にちなむ。 青年期はハリウッド俳優として映画出演、ナレーション声優また、テレビショーの司会など活躍していたそうです。 日本で知名度があり、好感度の高い米大統領の一人です。 当時の中曾根康弘首相と個人的にも親密な交流を深め、日米の信頼関係を高めました。 レーガン政権のスローガン、“PEACE THROGH STRENGHT”「力による平和」は就任当初、共産主義と毅然と対峙する姿勢を見せ、軍事力強化、同盟国協調の政治的圧力をかける政策を進めていたことによります。 レーガン氏自ら立案した衛星レーザービーム兵器構想、海軍艦艇増強600隻体制など、超軍事路線でした。 しかしその後、ソビエト連邦にゴルバチョフ政権が誕生し、民主、自由化の機運が高まったことを受け、一部核兵器の廃止条約を締結し、東西冷戦の終結を迎えるまでに至りました。 ゴルバチョフ氏が世界平和を目指す交渉に、価値がある人物と評価するとレーガン政権も一転、友好ムードの中、柔軟に対応することになりました。 日本も中曾根元首相が「日本列島は不沈空母」と発言するなど、バブル経済も相まってまさにイケイケ気分でした。 地球の運命は実に危ういと思うのであります(´Д`) レーガン氏も狙撃の洗礼を受けた大統領の一人です。 銃弾は肺に達していましたが、副大統領(ジョージ・H・W・ブッシュ)への権限委譲も行わずに奇蹟的な回復をしています。 『天が必要とする人間を認める』の感を否めません。 そして、アイゼンハワー氏に次いで2人目の2期8年を安定政権を全うしました。 1989年の引退後、アルツハイマー病を患い、2004年6月5日にナンシー夫人に看取られ93年の生涯を終えました。 葬儀は国葬で行われ、世界中の新旧の元首、友人が参集し、故人の偉業を称えました。 原子力空母ロナルド・レーガンは2011年3月11日の東日本大震災において、危急に駆けつけ沿岸に留まり横須賀所属の7隻の米艦艇とともに緊急支援に従事しました。 3月14日には福島第一原子力発電所の爆発事故により放射能被曝をし、汚染海域から離脱しましたが、同艦の『トモダチ作戦』と名付けられた物資、人員の援助は4月4日まで続行されました。 現在、炉心交換、オーバーホールで長期帰港するジョージ・ワシントンCVN−73に代わり、ロナルド・レーガンCVN−76が2015年10月1日よりヨコスカを母港としています。 緊張が続く北朝鮮情勢を監視するため、この10月17日から日本海では日本、韓国、アメリカの3か国海軍による合同軍事演習が行われています。 このライターは2003年7月に行われた、全艦機能・性能試験合格を記念して配布されたものです。
ニミッツ級原子力空母8番艦。 ハリー・S・トルーマン。 起工時はユナイテッド・ステーツと命名されていた。 起工1993年11月29日 進水1996年9月7日 就役1998年7月25日。 左側のインシグニアには“THE BUCK STOP HERE”「ここが決定の場だ。」 ポーカー用語ですが、トルーマン氏は大統領執務室に飾るほど好きな言葉だったそうです。 信号旗 H S T はハリー エス トルーマンのニックネームです。 右側は“GIVE 'EM HELL”「奴らに地獄を見せてやれ。」 何やら恐ろしげですが、挌闘系のスポーツでは一般的な「やっちまえ。」、「痛い目に合わせてやれ。」という意味です。 トルーマン氏の就任経緯は特異で、WWU開戦時から、異例の戦時政府として四期目(1945年〜)になった第32代フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(車椅子が必要な不自由な体だった)が脳溢血で死去(4月12日)したため、経験も浅く、戦争の推移状況も不詳のまま、副大統領就任82日で第33代大統領に昇格しました。 在任期間1945年〜1953年。 平凡かつ非凡な大統領と評される彼の功罪は、原爆投下に際し「ヒロシマは軍事拠点である。」との報告書により命令書にサインしたこと(実際には記録が残っていないとされているらしい)。 1945年のポツダム会談でソ連の指導者ヨシフ・スターリンに不信を抱き、その後の米ソ冷戦の発端となったこと。 大統領職の任期を2期8年とし、合衆国憲法に明文化したこと。 ヒロシマ、ナガサキ後の核兵器の実戦使用について大統領の承認が必要となること。などです。 ミドルネームの“S”はイニシャルのエスであると本人が言っていたそうです。 南部の慣習ともいわれています。 大統領退任後は地元ミズーリ州で余生を送っていましたが、1964年バスルームで転倒し半身不随となり、1972年12月26日に88歳で死去しました。 また、本艦は原子力空母ジョージ・ワシントンの後継艦として候補となりましたが、被爆国への配慮から回避されました。
起工1991年3月13日 進水1993年11月11日 就役1995年12月9日。 ニミッツ級原子力空母7番艦。 アメリカ上院軍事委員会の委員長を12年(1969年〜1981年)務め、海軍に貢献したジョン・コーネリアス・ステニスに因む。 大統領名シリーズが続くと思いきや、やはり海軍への功績が命名の重要な要素のようです。 7番艦ともなると建造実績も効率良く、すべからく順調に進むようで起工から就役、実戦配備(恐ろしく機械的に!)まで遅滞が無いですね。 ただ、昨今の民間船との衝突事故に代表されているように、クルーのスキルや、規律欠如が問題となっています。 ←それが一番重要だろw! ステニスも1999年11月30日、サンディエゴ沖で暗礁に乗り上げ衝撃により原子炉が緊急停止する事故を起こしています。 (どーやって10万トンの艦を座礁から引き離したのでしょう?)
ニミッツ級原子力空母6番艦、ジョージ・ワシントン。 起工1986年8月25日 進水1990年7月21日 就役1992年7月4日。 1700年代後半のイギリス、スペインなどの当時の列強国からの支配を排除するための運動が、やがて自治権確立への機運となっていったいわゆる『アメリカ独立戦争(1775年〜1783年)』の事実上の指導者の名を冠した空母。 独立を勝ち取ったアメリカ13州の国旗と現行の50州の国旗を配し、自由主義を謳っています。 ワシントンが考えていたのは、あくまでアメリカ13州の連邦会議の議長であって、決して大統領職という立場ではなかったらしいです。 それは彼が議事で残している通り「専制君主的な国家を目指すのではなく、自由な精神を基調に共和政治(かつて栄えたギリシャの共和制)をもって連邦制を保持しつつ、合衆国を形成するものでなくてはならない。」に表されています。 初代大統領という定義は一般的ですが、別定義もあります。 2017年9月現在、原子炉燃料棒交換、レーダーシステム、艦全体のオーバーホールなど大規模改修工事を実施中で、2021年に復帰予定です。
ニミッツ級原子力空母5番艦、エイブラハム・リンカーン。 起工1984年11月3日 進水1988年2月13日 就役1989年11月11日。 残念なことに、1994年10月、アメリカ海軍初の女性艦載機パイロット、カーラ・ハルトグリーン中尉を擁してのフライトオペレーション中、エンジントラブルと操縦ミスで着艦失敗により死亡(本人)事故が記録されています。 「人民の人民による人民のための政治は滅びることはないだろう。」ゲチスバーグでの勝利演説の一節が艦のスローガン(SHALLK NOT PERISH)となっています。 第16代アメリカ大統領(1861年3月〜1865年4月)から命名。 貧しいながらも、厳格な家庭環境の農家に生まれ育ったリンカーン(リンカンとも表記)は当初は独学で弁護士の仕事をしていましたが、イリノイ州議員などを経て、2度目の大統領選挙において、51歳の時、念願の大統領となりました。 就任直後、北部は発達した工業力を背景に『奴隷解放』を唱え、農業に必要な奴隷の労働力を主張する南部と対立が激化、ついには南北戦争に至ることとなりました。 CivilWar(1861年7月〜1865年4月)と呼ばれる南北分裂戦争の戦死者数は、実は、WWUのアメリカ兵士の戦死者数32万人の2倍と言われています。 多大な犠牲の上に北部側の勝利、かくて、奴隷制度は撤廃となるわけですが、未だに黒人への偏見が消えない事実は、『解放』が「南部の黒人奴隷を北部の味方につけるための戦略だった。」こと、あまつさえリンカーン自身も「奴隷制には反対だが、白人の優位は常識である。」という趣旨の発言に根強い差別意識が窺えます。 1865年4月9日、南軍の指導者ロバート・エドワード・リー将軍が降伏した直後の14日、ワシントンのフォード劇場で夫人とともに喜劇を鑑賞中、ジョン・ウィルクス・ブース(複数犯)に頭部を至近距離からピストルで狙撃され、翌日、還らぬ人となりました。 リンカーンがアメリカの偉人たる所以は、苦悩の選択を繰り返しながら、南北分裂を乗り越え国家を統一し、経済的覇権で世界に冠たるリーダーの礎を築いたことでしょう。 ちなみに、よく知られる髭の風貌は、ある少女からの手紙のアドバイス「頬がこけているから、ひげを生やした方が立派に見える。」によるものだそうです。 現在、リンカーンの子孫で有名なのは、米俳優のトム・ハンクス氏(母方ハンクス家)です。 「未来の一番いいところは一度に一日しかやって来ないことだ。」味わい深い名言ですね。 この艦のアイランド(艦橋)にはニックネームのABE(エイブ、アベぢゃないよ)が書かれています。
ニミッツ級原子力空母4番艦。 建造方法がモジュール組み立て方式(ブロック体集合構造)に変更されたことや、排水量増加、吃水が深くなった(12m)ことなどからセオドア・ルーズベルト級と分類されることがあります。 セオドア・ルーズベルト(ローズベルト)第26代米国大統領(1901年〜1909年在職)。前任マッキンリー大統領が暗殺されたため、副大統領から昇格。 サウスダコタ州ラシュモア国立公園の岩山に彫刻された4人の大統領(左からワシントン、ジェファーソン、ルーズベルト、リンカーン)にも顔があるとおり、今なお支持を得ています。 アメリカ帝国を標榜し、カリブ海域〜中米を自国の庭とする考えもこのころから定着し、パナマ運河の権益も獲得しました。 また、ハワイ〜東南アジアへの進出も画策し、さらに日本との関係では、日露戦争停戦の調停にも仲介役を務めました。 『世界の警察官』を自負し、当時のアメリカ国民の強いリーダーとなっていきました。太平洋戦争開戦時の第32代フランクリン・D・ルーズベルト(セオドアの姪、アナ・エレノア・ルーズベルトと結婚している)は遠縁の従弟にあたるそうです。 18世紀にさかのぼると、ルーズベルト家はハイドパーク(民主党支持派)とオイスター・ベイ(共和党支持派)に分家したとのこと。 両家とも富を得て、分裂後も仲は悪くなかったそうです。 セオドアの愛称、『テディ』にも逸話がります。 狩猟好きな彼は、収穫に恵まれなかったある日、見つけた子熊を撃たずに野に返したというエピソードがあり、それを新聞記者が紙面に掲載しました。 これを玩具メーカーが取り上げて、子熊のぬいぐるみに『テディ・ベアー』と名付けて商品にしました。 ぬいぐるみは大ヒット、今に続くロングセラーとなっています。 セオドア本人は『テディ』と呼ばれるのは良く思っていなかったらしいですが。 起工1981年10月31日 進水1984年10月27日 就役1986年10月25日 大西洋艦隊所属
ニミッツ級原子力空母の3番艦。 U.S.S.はUnited States Ship(合衆国海軍籍の艦船)の略です。 3か月前、緊張が高まった朝鮮半島海域に派遣されたことが記憶に新しい空母。 艦名は1914年から1965年の引退に至るまで、50年間米下院議員を務めたカール・ヴィンソン氏の名に由来します。 法律家出身の氏の功績は、戦後の下院軍事委員会の初代委員長をはじめ、エンタープライズ以降の原子力空母の建造を推進し、海軍力増強に尽力したことによります。 それゆえ、存命中に人名を冠した初の空母(本人96歳で命名・進水式に出席)となりました。起工1975年10月11日 進水1980年3月15日 就役1982年3月13日 太平洋艦隊所属。 日本へは1983年3月21日佐世保港に初寄港しています。 日本のアニメ、コミックにも多数登場してアクターな艦です。